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時々思いついたことを気ままに綴っていきます。
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「羊たちの沈黙」をみました。大学の時の何かの授業で、これと「スタンドバイミー」をみて、教授の分析(?)を聞きましたが、もう忘れてしまいましたが、映画が面白かったことは覚えています。この映画小さいころから何度もみましたが、今久しぶりにみても面白かったです。最近FBIの映画やドラマばかりみていて、自分でもなんでかなと思いますが、最近の興味の傾向がそっち系なんだな。
自分は絶対警察官の人と付き合ったり、自分が警察関係の仕事に就くことは絶対にありえないと考えているのに、フィクションのエンターテイメントの世界は刑事ものを好んでみてしまいます。警察って絶対に必要な仕事なんだけど、事件があることで存在価値が増す、けど事件は起こしたくない、という矛盾した環境に身を置かなくちゃならない仕事のような気がして(考えすぎなんでしょうが)、自分じゃ絶対選ばない職種だなと思っています。
 だって、連続殺人事件だ、とかいったらよっしゃやってやる!って思ってしまいそうだけど、被害者やその家族のことを考えたらそんな風に久しぶりの凶悪事件に嬉々として挑んだら間違ってもいけないだろうし、、(^_^;)犯人が見つかっても、事件の被害をこうむった人にしてみれば不幸中の幸いと言うしかないでしょうからね;
 けど警察がいなかったら抑止力がないことになるから、それはそれでマズイことになりそうだから、絶対必要な仕事なんだけど、要は暇な警察が一番理想的な姿なのか。
 「羊たちの沈黙」の話に戻りますが、タイトルの意味って、私今日まで勘違いしてました。
※ちょっとネタバレですが……

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あれって、子羊たちの悲鳴を黙らせるっていうクラリスの目的を意味しているんですね。クラリスの過去の話で、殺されそうなのに檻の扉を開けても出ていこうとしない子羊たちが沈黙している様子を表しているのだとばかり思っていました。つまり、自らの運命に抗おうとせず、自己犠牲的な羊たち。その光景にショックを受けたクラリスは羊たちの救済を望む。一方レクターは、そのような言わば弱者に対する同情や哀れみといったものは持ち合わせていないものの、羊を殺し食べる側の人間の肉をも食うことで、本当の意味での平等な精神を持っていて、その点において(傲慢な人間に対する怒り(?))クラリスと心を通わせることができている。と、解釈していました。言葉にすると。
 しかし、今見るともっと話は単純で、羊が殺される時の悲鳴が頭にこびりついて離れないクラリスが、犯人から被害者を救うことによって、羊の悲鳴が沈黙に変わる。といったことだと。羊が自己犠牲的だなんてどこでも言ってなかったですね(^_^;)羊は、逃げても無駄だ。仲間と一緒にここにいた方がいい。といった気持ちだと勝手に思ってました。それが羊たちの沈黙だと。
 それにしてもこの映画をみたあとずっとこのことを考えていたら、バイトの出だしがなんか気持ち的に暗かった(^^;)映画はいいけど、あまり影響されないようにしないとな。
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