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時々思いついたことを気ままに綴っていきます。
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 今まで幾度となく辛い経験をしてきた。と、思う。辛い経験とは他者と比較して、あるいは世間一般の水準と比較して、という考え方もあるが、私が言っているそれはどこまでも主観で感じたことでしかない。しかし、それははっきりと何の迷いもなく辛い経験だったと私は言える、今ここで。泣き叫びたいくらいの、あるいは本当に泣き叫んだほどの心境。誰にでもそのような経験はあるのだろう。だからここで述べることは、誰かに同情してもらいたいだとか、意見を述べてもらいたいだとかいう目的で綴るわけではない。ただ、書くあるいは言う、という行為が私の思考の波をほんのわずかの間落ち着かせ、ある一つの考えだけに集中させてくれる。私にとって言葉とは、そのような役割をはたすものとなってきている。
 
言葉がうまく使えないと感じていた時期も長くあった。しかし、今現在、私はこう思うのだ。人間は言葉を正しく使うべきだ、と。他者の感情や思惑は目に見えない、不確かなものでしかない。仮に感じ取ったとしても、それはどこまでも想像でしかない。だから言葉で伝えるしかない。嘘をついたり、口から出まかせを言うことは、相手や状況を混乱させるばかりで、何の解決や理解にも繋がらない。
 
人が会話の中で発する言葉には、常に嘘である可能性と、真実に近い(寸分の狂いもない真実を言葉に置き換えることは難しいと考える)可能性を秘めている。それを受け取り側が正確に判断することはできない。判断したとしたら、それは思い込みでしかない。だから、相手が“そう言った”という“事実”しか残らないのである。すなわち、相手が言った言葉はそれが相手の考えなのだとして、そのまま受け取るべきなのである。
 
記憶は継続的に積み重っていくものであり、一つ一つの出来事で塗り替えられるものではないはずだ。時がたてば忘れ去られる事態も確かにある。冗談であった、や、考え方の変化などの理由で、かつての行いを無かったことにする場合も私自身ある。しかし、それは事が重要なジャンル(生活、仕事、恋愛など)に関わる事であればあるほど通用しない技、いや、やってはいけない技であると私は思う。

 
ここ数ヶ月で信じられない、想像もしていなかったような出来事が起こった。九月から突然入ってきた新しい同僚は、その日から私とルームシェアすることになり、二人の共同生活が始まった。彼女は、印象は大人しい控えめな礼儀正しい子で、うまくやっていけると思った。しかし、彼女には最初から決定的に何か不自然な点があったと、今振り返ると確信できる。まず、会話によってお互いの思惑、心境、価値観などを理解することが不可能だった。私や周りが言った指示が正確に伝わっていないことも度々あった。それは初め、時間が解決する問題だと思っていたがそうではなく、彼女の登場から二か月半たった今、もう取り返しのつかない段階にまで彼女に対する不信感が自分の中に根付いてしまっている。
 
彼女には認識力が欠けている。物事の成り立ち、人の感情、社会のルール、常識。社会のルールや常識に関しては、私も人のことはあまり言えず、自分の考えで良いと思うことをしてしまうこともあるので何とも批判し難いが、物事の成り立ちや人の感情といった、さらに人間関係の根底に位置している重要な判断源をないがしろにするという行為は、集団生活において最も許されない行為であると私は考える。22歳ということもあり、今のそのあたりの年齢の人たちにはよく見られる現象なのかどうか私にはわからないが、彼女のような人間に私は初めて出会った。


 今いる職場を離れることは、私にとって非常に悲しく辛いものである。半年を通して築き上げた人間関係、信頼、安心、それらをまた新たな転地で一からやり直さなければならないという事実は、非常にストレスを感じる源である。しかし、彼女がここに残る限り、私はここにはいられないという決定は覆せない。これほどまでに人を嫌ったこともまた、今までの人生の中でおそらく無かったことであると感じている。
 
冬の間に新しい職場を探し、今はここから出ていく準備を着々と行うことに専念したいと思う。お世話になった方々への感謝の気持ちはまったく変わっていない。今回の件と仕事とは何の関係もない。しかし、仕事も生活の延長と私は捉えているので、ここを去るしかないと考える。チームの中で一部でも嫌悪感を受ける人、あるいは人たちがいるとなると、万全のコンディションで働ける日は来ないと思うし、これは我慢に我慢を重ねて、辛抱強く相手に言葉と態度で理解と解決を求めてもなお一切の和解にも繋がらなかった結果であり、私の我儘や至らなさ、他人に対する寛大さが欠けているせいだとは、まったく思えないからである。
 
次の仕事もまた農業関係の仕事にしたいと思っている。ここでの経験は非常に価値あるものとなった。技術を身に着けられ、農業という仕事を体感でき、何より農家はすばらしいと感じることができた。これからの人生の選択肢に繋がる良い経験をさせてもらえた。
 
これからも私の人生には、いろいろな障害や試練が待ち受けていることだろう。しかし、これまでの経験が私を強くさせ、学ばせ、物事に対して的確な判断がくだせるよう成長させてくれていると感じる。今回の件に関しても、私は無駄な経験ではなかっと思っている。だから、私は後悔せずに前に進もうと思う。

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